野球伝来150年の記念ロゴが熱い!!
コラム 2023.01.17
みなさま、今年3月からはワールドベースボールクラシック(WBC)の開催が決まっていますね。野球の世界一を決める大会。日本でも試合が予定されています。
今年は、メジャーリーガーの大谷翔平選手が侍ジャパンの一員になることで大いに盛り上がっていますよね。
ところで、今や世界大会で上位に食い込むようになった日本野球ですが、実は日本に野球が伝来してちょうど150年になるってご存知でしたか?
今回は野球伝来150年を記念して、日本野球の雑学をまとめてみました。
そして、熱いのがなんといっても日本野球伝来150年記念ロゴです。 こちらもご紹介しますよ。
日本の野球のはじまり
野球伝来のなれそめ
そもそも世界で野球が始まったのは1839年。アメリカ・ニューヨークのクーパースタウンからと言われています。
ルールが作られたのが1845年。
1860年代初頭の南北戦争の頃には、兵士たちが各地で余暇に野球を行なっていたのだとか。そうして徐々にアメリカ全土に浸透していったそうです。
日本に野球が伝えられたのは、1872年(明治5年)。
東京大学の前身である開成学校のアメリカ人教師ホーレス・ウィルソンらが、日本にバットとボールを持ち込み学生たちに野球を教えました。
そして6年後には社会人を中心とした本格的な野球チームが結成され始めたのだとか。
この頃は、野球と言う言葉もまだ使われておらず、「玉遊び」「打球鬼ごっこ」「底球」など様々な名前で呼ばれていたそうですよ。
「野球」の名付け親
では、ベースボールを「野球」と和訳したのは一体誰だったのでしょう。
長くは俳人の正岡子規と思われていました。
正岡子規は野球に熱中し、自分の雅号を「野球」「能球」としていからです。
球をボールと読ませて「ノボール」「ノゥボール」と幼名の升(のぼる)と掛けたのです。
このことが、“正岡子規が「野球」の名付け親”だと思われるきっかけだったようです。
しかし、実は違ったのです!
本当は、正岡子規ではなく、旧制一高OBであった中馬庚(ちゅうま かのえ)であったとされています。
徳島県西部の山あいにある脇町高校には、「中馬庚先生野球の碑」があります。
裏には「旧脇中第四代の校長中馬庚先生は日本の学生野球育ての親であり、また文字通り野球の名付け親であった」と記されているそうです。
野球伝来150年のロゴが熱い!!
墨絵で描かれた記念ロゴ
ご覧いただいたのが、野球伝来150年の記念ロゴ。迫力満点ですよね。
制作したのは、国際的な墨絵イラストレーターである茂本ヒデキチ氏。
野球伝来150年特設サイトによると、「スピード感、迫力ある独特なイラストで、日本野球150年の歴史の重み、深みと、日本野球が今後も発展していくような力強さを表現」したとのことです。
そして、このロゴ、サイトでは10種類もの関連ロゴが発表されています。
どれも野球のシーンを熱く切り取ったものばかり。見ているだけでも野球好きになりそうです。
気になる方は、野球伝来150年特設サイト 記念ロゴマークページをぜひチェックしてみてくださいね。
グッズ販売でブランディング
さらにこの熱いロゴ、高校野球の大会やプロ、アマ問わず様々な試合で登場しました。
ヘルメットに記念ロゴシールを貼る、記念ロゴ入りのリストバンドを装着するなどして、子供から大人までロゴをまといプレーしたそうです。
そしてなんと、実は野球好きの野球人(する・観る・支える:野球を愛するすべての人)なら誰でもゲットできます。
野球伝来150年特設サイトでは、ヘルメットに貼るシールとリストバンドが販売されていますよ。
こういったところで、熱い記念ロゴを通して日本野球を盛り上げていこうとするブランディング戦略が垣間見れますよね。
まとめ
今回は、野球伝来150年を記念して、日本野球の雑学と熱いロゴについてご紹介しました。
力強いロゴが示す通り、この記念すべき時を盛り上げようと特設サイトはじめ様々なイベントが行われました。
去年8月に行われたプロ・アマの記念試合では、U-23NPB選抜 8 – 6 大学・社会人選抜で、U-23NPB選抜が勝利を収めたとのことです。
そうして迎える今年3月のWBC。日本の活躍に目が釘付けになりそうですね。応援しましょう!!
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参考文献
【[朝日新聞デジタル] 「野球」の名付け親、正岡子規ではなかった 「坂の上の雲」も修正】
【[Jpaaan magazine] ベースボールを「野球」と名付けたのはなんと歌人・正岡子規だった!?…という誤解】